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この2日間、私は、あるホテルの“バリアフリー”の部屋で大変快適に過ごしています。まず、入り口からして普通より広く、鍵をあけると同時にドアがスライドして、何の苦労もなく部屋に入ることができます。車椅子なら軽くすべり入り、トイレを過ぎ、デスクまでたどりつくでしょう。私が杖を必要としていたり、視覚障害を持っていたとしても、部屋の両壁に取り付けられた手すりが頼りになってくれます。部屋の真ん中には空間が広く取ってあり、ベッドへ移動するために車椅子をターンさせることもできます。壁の低い位置にとりつけられたもう一本の手すりを使えば、ベッドにも横たわりやすく、手元にはライトのスイッチが備わっています。 |
| これを書いている私自身は今のところ、身体的にも精神的にも「ハンディキャップがある」と分類される状態にはありませんが、自分の責任からでなく障害を持つことになったたくさんの人々を知っています。この部屋に座って、見回し、動き回ると、私のここでの滞在からたくさんの必要のない“バリア”を取り払ってくれた設計者に感謝しました。 考えて見ると、この頃、こういった“バリアフリー”の建物や空間が増えてきてはいるものの、バリアフリーな「人々」にはなかなか出会えません。たとえば、この部屋はどんな人でも中へ入れます。どんな風に対応するかを決めるためにその人の品定めをしたりしません。男性でも女性でも、若くても高齢でも、友達でも初対面の人でも、対応は同じです。肌の色も関係なく、太っていてもやせていても、美人でもそうでなくても、どんな社会環境に生活する人であれ、どんな学歴でも、いい人でも嫌なやつでも。ドアは誰にでも大きく開かれ、好きなだけ滞在できるのです。 私が思うバリアフリーな人とは、常に心を大きく(普通の人が想像するよりもさらに大きく)開き、さしのばされた手をつかむための力強いやさしさに満ち、辛抱強く聞く耳を持ち、いつでも必要なときに誰もが自由に滑り込み、そして出て行くことができる開かれたスペースを心に持ち続けることができる人。 私も、この部屋のように、このスペースそのもののような人にならねば・・・・・・。 手を伸ばせば届く近さにいて だれかが転んだときには その体をささえる柔らかなクッションとなり くぐもった助けを呼ぶ声、小さなささやき声に 敏感であること 翌朝、帰り支度をして部屋を出るとき、私が「ありがとう」を言おうが言うまいが、この部屋はまったく気にしません。(実際は何度も何度も言いましたが。)そしてこの暖かく、明るい、過ごしやすい部屋は、私が2度と戻ってこなくても、気を悪くしたりはしません。次の滞在客が来ても、この部屋のすばらしさを自慢したり、他の部屋と比べてどれほど優れているかをほのめかしたりもしません。 私は部屋を後にしましたが、この部屋は休息を求める次の滞在客を静かに待っています。安らかに、他と比べることもなく、競うこともなく、恐れることもなく、そこにただ存在する安心。 |
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